السبت، 16 يناير 2010

人間の胎児の発育について


A)人間の胎児の発育について:
クルアーンの中では。
人間の胎児の発育段階について次のように記述されている。

われは泥の精髄から人間を創った。
そしてわれは彼を一滴の精液として、堅固な住みかに納めた。
それからわれは、その精滴から一個のアラカ(ヒル、釣り下がったもの、血の塊の意)を創り、そのアラカからムドゥガ(噛み潰したもの)を創り...(以下略)(クルアーン 23:12-14)

アラビア語のアラカという言葉には3つの意味がある。
すなわち(1)ヒル(2)釣り下がったもの(3)血の塊、である。

アラカの段階にある胎児をヒルと比較すると、図1に示されるように両者に形状の点での類似性が見られる。
またこの段階にある胎児は母親の血液から栄養を摂取するが、ヒルも同じように他の生物の血を吸って生きる糧としている。

図1:ヒルと、アラカの段階における人間の胎児の形状の類似性。
(ヒルの図の出典:Human Development as Described in the Quran & Sunnah(クルアーンとスンナの中で描かれている人間の発育),Moore & others, p.37及びIntegrated Principles of Zoology(動物学における完全な法則),Hickman & othersから一部修正。
胎児の図の出典:The Developing Human(邦訳「ムーア人体発生学」), Moore & Persaud,5th ed., p.73)

アラカという言葉の2つ目の意味は「釣り下がったもの」である。
図2と図3に示されるように、アラカの段階にある胎児は母親の子宮内で釣り下がった状態にある。
図2:胎児はアラカ の段階にあるとき、母親の子宮内で釣り下がった状態にある。
(The Developing Human(邦訳「ムーア人体発生学」), Moore & Persaud, 5th ed., p.66)


図3:アラカの段階にある胎児(約15日目、Bの矢印)が母親の胎内で釣り下がった状態にあることを示す顕微鏡写真。
胎児の実際の大きさは約 0.6 mmである。
(The Developing Human(邦訳「ムーア人体発学」,Moore,3rded.,p.66,from Histology, Leeson & Leeson
)

そしてアラカの3つ目の意味は、(血の塊)である。
アラカの段階での胎児の外観とその胎嚢は、血の塊と酷似している。
それはこの段階の胎児には、相対的に見て多量の血液が存在しているためである(図4を参照)。
またこの段階においては胎児の中の血液は循環せず、その状態は第3週目終盤まで継続する。
このような理由からも、この段階での胎児は血の塊に類似していると言える。

図4:アラカの段階にある胎児の初期循環器系図。
胎児の外観とその胎嚢は、胎児の中に相対的に見て多量の血液が含有されていることにより、血の塊と酷似している。(The Developing Human(邦訳「ムーア人体発生学」), Moore,5th ed.,p.65)

このようにアラカという言葉の持つ3つの意味は、アラカの段階にある胎児の諸特徴と正確に一致している。

さて、クルアーンの中に記述されている2番目の胎児の発育段階はムドゥガである。
アラビア語の ムドゥガは、「噛んだもの」を意味する。
口の中に入れて噛んだガムと、ムドゥガの段階にある胎児の形状を比較してみよう。
両者の間に外観上の類似性が認められるであろう。
これは胎児の後背部の体節の形状が、噛み潰したものに付いた歯形と若干似ていることによるためである(図5と図8を参照)。

図5:ムドゥガの段階(28日目)にある胎児の写真。
この段階の胎児は何か噛み潰した物体のように見えるが、それは胎児の後背部にある体節が歯形と若干似ているからである。
胎児の実際の大きさは 4 mm。
(The Developing Human(邦訳「ムーア人体発生学」),Moore & Persaud,5th ed.,p. 82,写真は京都大学西村秀雄教授より転用)

図6:ムドゥガの段階にある胎児の外観と噛み潰したガムを比べると、両者に類似点があることが分かる
A)ムドゥガの段階にある胎児の図。
胎児の後背部の体節が歯形のように見える。
(TheDeveloping Human(邦訳「ムーア人体発生学」),Moore&Persaud,5thed.,P.79)
B)噛み潰したガムの写真


ムハンマドはどのようにして、1400年も前にこのような事実を知りえたのだろうか。
これらの知識は、科学者がその当時存在しなかった精密機器や高性能顕微鏡を駆使して、近年になって初めて発見したものなのである。
ハムとレーウェンフックは改良された顕微鏡を用いて精細胞(精子)を観察した最初の科学者であるが、これは1677年のことで、実にムハンマドの時代から既に1000年も後のことなのである。
しかも彼らは精細胞の中には人間の形のミニチュアが既に保存されていて、それが女性の生殖管に挿入されると成長し始めるのだと誤解していた。

キース・ムーア(Keith Moore)名誉教授は、解剖学と発生学の分野で世界的に最も高名な科学者であり、The Developing Human (邦訳「ムーア人体発生学」医師薬出版)の著者である。
科学的に卓越した参考文献とみなされているこの著書は8ヶ国語に翻訳されており、米国の特別委員会において単独の著書による、最優秀著作品に選ばれた。
彼はカナダのトロント大学の解剖学・細胞生物学の名誉教授で、同大学の医学部で基礎科学の副学部長を務め、解剖学科の主任教授を8年間務めた。
また1984年には、カナダの解剖学の分野で最も優れた賞であるJ.C.B大賞をカナダ解剖学者協会から授与され、更にはカナダ・米国解剖学者協会や生命科学連盟委員会など、同分野における多くの国際的組織を指導する役割を担ってきた。

1981年、サウジアラビアのダンマーンで開催された第7回医学会議で、ムーア教授は次のように述べた。

「人間の発育に関してクルアーンの中で述べられていることを解明する手助けをすることは、大変喜ばしいことだ。
これらの言葉が神からムハンマドに伝達されたということは、明白であると思う。
これらの知識は全て、何世紀も後になって初めて発見されたものなのだ。
私はこの事実が、ムハンマドが神の使徒であったに違いないことを示していると思う。」

このコメントの後、ムーア教授は次のような質問を受けた。
「ということは、あなたはクルアーンが神の御言葉であると信じるのですか。
」すると彼は答えた。
「そうとらえるのは難しいことではありませんね。」

またムーア教授は別のある会議で次のように述べている。

「…人間の胎児の発育段階区分は、そこにおいて変化する過程が連続しているため複雑なのである。
それゆえクルアーンとスンナ(ムハンマドの言行、及び彼が承認したこと)の中で示されている用語を使って、新しい区分体系を開発するのはいかがだろうか?そこで提案された区分体系はシンプルかつ包括的であり、現代の発生学の知識と適合している。
過去4年間クルアーンとハディース(預言者ムハンマドの教友たちが彼の言行や承認したことを伝えた伝承録)を徹底的に研究した結果、人間の胎児の発達段階を分類する体系が明らかになったが、それが既に7世紀の昔に記録されたことは驚くべき事実である。
発生学の創始者であるアリストテレスは、紀元前4世紀に鶏の卵の研究を通じてヒヨコの胚が段階的に発育することを知っていたが、その段階の詳細にまでは触れなかった。

発生学の歴史で知られていることに限れば。
人間の胎児の発達段階とその分類は、20世紀になるまでは殆ど解明されていなかったのだ。
このことから、人間の胎児に関するクルアーンの説明は7世紀当時の科学的知識に基づいていたとは考えられない。
唯一理にかなった結論は。
これらのメッセージが神からムハンマドに啓示されたということだけである。
彼は科学的な教育を全く受けたことのない文盲であり、このように詳しいことまで知りえたはずがなかったのだ。」
イサーム ガラール

イスラームの直実の証し

神は数多くの奇跡や証拠をもって、預言者ムハンマドが神から遣わされた真実かつ最後の預言者であることを示した。
また同様に神は最後の啓典である聖クルアーンについても数多くの奇跡をもって、それが神によって啓示された言葉であり、決して人間が書いたものではないことを証明した。
本章ではその証しについて取り上げる。

(1)科学的視点から見た聖クルアーンの奇跡
神の言葉クルアーンは、天使ジブリール(ガブリエル)を通じて預言者ムハンマドに啓示された。
ムハンマドはそれを口頭暗記した後、教友たちに伝えた。
そして今度は彼らがそれを暗記し書面に残し、ムハンマドの前でその正誤の確認をした。
更にムハンマドは毎年一度天使ジブリールの前でクルアーンを復唱し、彼が亡くなる年にはそれを2度繰り返している。クルアーンが啓示されてから現在に至るまでいつの時代にも、クルアーンを一字一句抜かすことなく全暗記した数あまたのムスリムが存在していた。
その中には10歳に満たずしてクルアーンを全暗記した者たちすらいる。
クルアーンは何世紀にも渡って一字たりとも改変されてはいないのだ。

クルアーンは1400年前に啓示された。
にも関わらず、そこには近年になって初めて科学者によって発見され証明された事実が記述されている。
この事は紛れもなく、クルアーンが神によって預言者ムハンマドに啓示された神の言葉であり、ムハンマド自身や他の人間によって創作されたものでないことを証明している。
そしてまたそれは、預言者ムハンマドが神から遣わされた真の預言者であることの証明でもある。
1400年も前に生きた人が、近年になって初めて精密機械や高度な科学的手段によって発見され証明された事実を知りえたとは到底信じがたいのである。
そのいくつかの科学的事実について考察していこう。
イサーム ガラール

イスラームの 基本的信仰

1)神への信仰
ムスリムは、唯一絶対で何ものにも比べざるところの神を信じる。神は息子も配偶者もなく、かれの他に崇められる権利を有するものは誰1人としていない。
かれこそが真の神であり、他の神格は全て偽物である。
かれは最も崇高な御名と畏敬すべき完璧な属性を有している。神の神格や属性を侵すものは何1つとしてない。
クルアーンの中で、神は自らについてこう述べている。
言ってやるがよい。
“かれこそは神、唯一なる御方である。かれは自在され、全ての創造物はかれによって存在する。
お産みなさらないし、お産れになられたのではない。
かれに匹敵する何ものもない。” (クルアーン 112:1-4)

アラビア書道で書かれたクルアーン112章

その唯一神の他に、礼拝、祈願、崇拝の対象となるにふさわしいものは何1つとしてない。

その神だけが全能者、創造者、統治者、そして全宇宙の万物の維持者である。
全ての物事はかれの管理下にあり、かれは自らの創造物から何も必要としないが、全ての創造物はあらゆる面においてかれを必要としている。
かれはあらゆることを聞き、見、知っている。
かれの叡智は完璧であり、公のことも秘められたことも、全てを包含する。
かれは過去に起こったことも、これから起こることも、それがどのように起こるかも 全て熟知している。
世界中のあらゆる出来事は、全てかれの意志に基いて起こる。
かれが望むことは全て現実化し、望まないことは決して起こらない。
かれのご意思はあらゆる創造物の意志を凌駕している。
かれは万物を支配し、全能である。かれは最も恵み深く、慈悲あまねく慈愛深い御方である。預言者ムハンマド の言葉によると、神の慈悲は母親の子に対するそれよりももっと深い。
(注1)神は不正や暴虐とは無縁であり、その全ての裁決と実行において英明である。
誰でも何かを祈願したい者は、かれとの間にいかなる仲介者を置くことなく、かれに直接訴えかけることができる。

神はイエスではなく、イエスは神ではない。(注2)イエス自らもこのことを否定している。クルアーンの中にはこうある。

“神こそは、マリアの子メシア(イエス)である”と言う者は、実に不信仰者である。メシアはこう言ったのだった。“イスラエルの子らよ、私の主であり、あなたがたの主である神を崇めなさい。”およそ神に何ものかを並べて拝する者は天国の楽園を禁じられ、その行き先は地獄の業火となる。不義を行う者には、(注3)いかなる援助者もないのである。 (クルアーン 5:72)

神は三位一体ではない。またクルアーンの中で神はこうも語っている。

“神は三位の一つである”などと言う者は、実に不信仰者である。唯一の神の他に神はないのだ。もしかれらがその言葉を止めないなら、かれら不信仰者には、必ず痛ましい懲罰が下るであろう。彼らは何故、悔悟して神に御赦しを求めないのか。誠に神は寛容にして慈悲深くあられる。マリアの子メシア(イエス)は一人の使徒に過ぎない... (クルアーン 5:73-75)

イスラームは、神が万物創造の第7日目に休息したこと、神が使徒の1人と取っ組み合いをしたこと、神が人間に嫉妬して 陰謀をはたらくこと、神が人間の姿をしていることなどを全て否定している。またイスラームでは神に人間と同様の属性を与えることを否定する。これらはすべて神への冒涜である。神は至高であり、あらゆる非完全性か ら無縁なのだ。かれは疲れることもなく、まどろむことも眠ることもない。

アラビア語のアッラー は神(全宇宙を創造した唯一の、真なる神)を指す。
この アッラー という言葉は神の名前であり、ムスリムであろうとキリスト教徒であろうと、アラビア語を話す人々は神をこう呼ぶ。この言葉は、唯一の真なる神以外に対して使われることはない。
アラビア語の アッラーという言葉はクルアーンの中で約2700回出現する。アラビア語と 近縁で、イエスの話していた言葉であるアラム語でも、(注4)神はアッラーと呼称されている。

2)諸天使への信仰
ムスリムは天使が実在すること、そして彼らが高貴な創造物であることを信じている。
天使は神だけを拝し、かれに服従し、かれの命令によってのみ行動する。
ガブリエルもこうした天使のうちの1人で、ムハンマドにクルアーンを伝達する役割を担ったのは実に彼である。

3)諸啓典への信仰
ムスリムは、神が人類への証しと導きとして諸預言者に啓典を下したことを信じる。これらの啓典の1つがクルアーンで、それは神が預言者ムハンマドに啓示したものである。
神はクルアーンが、あらゆる改ざんや歪曲から守られることを保障している。
神はクルアーンの中でこう宣言した。

本当にわれこそは、その訓戒(クルアーン)を下し、必ずそれを(改ざんから)守護するのである。
(クルアーン 15:9)

4)諸預言者・使徒への信仰
ムスリムは、アダムから始まり、ノア、アブラハム、イシュマエル、イサク、ヤコブ、モーゼ、イエス(彼らに平安あれ)らがその系譜につながるところの、神の遣わした諸預言者と諸使徒を信じている。
そして神はその永遠のメッセージを再確認するものとして、人類に対する最後のメッセージを啓示した。
それこそが預言者ムハンマドにくだったものである。
ムスリムはムハンマドが神から遣わされた最後の預言者であると信じている。
クルアーンの中にはこうある。

ムハンマドは、あなたがたの誰の父親でもない。
しかし彼は神の使徒であり、預言者たちの封緘(ふうかん)なのである... (クルアーン33:40)

ムスリムは、これら諸預言者・諸使徒が全て被造物の人間に過ぎず、神格などは有していないと信じている。

5)審判の日への信仰
ムスリムは、審判の日(復活の日)を信じる。それは全ての人々がその信仰と行いによって神の裁きを受けるため、蘇らされる日のことである。

6)天命への信仰
ムスリムはカダル(神によって定められた天命)を信じる。
しかしこのことは、人間が自由意志を持たないということを意味するのではない。
むしろ、ムスリムは神が人間に自由意志を与えたことを信じている。すなわち、人間は善悪を 判断することができ、自らの選択に責任を持つということである。

天命への信仰は、次の4つのポイントを信じることが含まれる。1) 神は過去も未来も全て知っている。2) 神は過去に起こったこともこれから起こることも全て記録している。3) 神が望むことは起こり、神が望まないことは実現しない。4) 神は万物の創造主である。

イサーム ガラール

聖典はあるだろうか

クルアーンの以外に
イスラームの典拠は存在するか?
スンナ(預言者ムハンマドの言行、あるいは黙認事項)イスラームにおける第2の典拠である。
スンナはハディースから成立したもので、これは預言者ムハンマドの教友が彼の言行及び黙認事項を確かな伝達経由をもって記録したものである。
スンナを信じることはイスラームの信仰の基本の1つである。
イサーム ガラール

預言者ムハンマドの言葉

n{信者たちは、互いの愛情、慈悲、同情心において1つの肉体のようなものである。
一箇所でも具合が悪ければ、体の他の全組織が熱と不眠に冒されながら彼を気遣うのだ。}(注1)
n{信仰において最も完成された信者とは、道徳心の最も優れた者である。
その中で最も優れた者は、彼らの妻に対して最もよい者である。}(注2)

n{自分が望むことを自分の同胞に対しても望むようになるまでは、本当の信者であるとは言えない。}(注3)

n{慈悲深い者は最も慈悲深いお方から慈悲を恵まれる。地にあるものに慈悲深くあれ。そうすれば神があなたに慈悲深くあるだろう。}(注4)

n{同胞に微笑むことは施しである..}(注5)

n{よき言葉は施しである。}(注6)

n{神と審判の日を信じる者は、隣人に親切であるべきである。}(注7)

n{神はあなたを姿形や財産から判断するのではない。あなたの心と行いを見るのである。}(注8)

n{働く者にはその汗の乾かないうちに賃金を払いなさい。}(注9)

n{或る男が道を歩いてる時、喉の渇きに襲われた。
すると井戸を見つけたのでその中に降り、水を飲んだ。
そこから出てみると、犬が乾きのために舌を出し、ハアハア言いながら泥を食べていた。
男は言った。
「この犬も喉が渇いているのだな。
自分がそうだったように。」そして井戸の中に降りると、靴に水を満たし、それを犬の口のところに持っていって飲ませた。
アッラーは彼に報奨を与え、そして彼の罪を赦した。
人々は言った。「預言者よ、畜獣にも報奨があるのですか?」預言者は言った。
「全ての生きとし生けるものには報奨がある。」}(注10)
脚注:
(注1)Saheeh Muslim(サヒーフ・ムスリム), #2586 and Saheeh Al-Bukhari(サヒーフ・アル=ブハーリー), #6011。
(注2)Mosnad Ahmad(ムスナド・アフマド), #7354 and Al-Tirmizi(スナン・アル=ティルミズィー), #1162。
(注3)Saheeh Al-Bukhari(サヒーフ・アル=ブハーリー), #13 and Saheeh Muslim(サヒーフ・ムスリム), #45。
(注4)Al-Tirmizi(スナン・アル=ティルミズィー), #1924 and Abu-Dawood(スナン・アブー・ダーウード), #4941。
(注5)Al-Tirmizi(スナン・アル=ティルミズィー), #1956。
(注6)Saheeh Muslim(サヒーフ・ムスリム), #1009 and Saheeh Al-Bukhari(サヒーフ・アル=ブハーリー), #2989。
(注7)Saheeh Muslim(サヒーフ・ムスリム), #48 and Saheeh Al-Bukhari(サヒーフ・アル=ブハーリー), #6019。
(注8)Saheeh Muslim(サヒーフ・ムスリム), #2564。
(注9)Ibn Majah(スナン・イブン・マージャ), #2443。
(注10)Saheeh Muslim(サヒーフ・ムスリム), #2244 and Saheeh Al-Bukhari(サヒーフ・アル=ブハーリー), #2466。
イサーム ガラール

イスラームにおける審判の日とは

キリスト教徒と同様、ムスリムは現世というものが来世に対する試験的な準備期間に過ぎないという信仰を持っている。各人にとって、現世での生活は死後の世界のための試練の場である。
全宇宙が破壊するその日がやってくると、死者は神の審判を受けるために復活させられる。
この日全ての者がその信仰と行いに従って神からの報いを受ける。
「アッラーの他に真の神はなく、ムハンマドは神の使徒(預言者)である」と信じて死んだ者はその日報われ、永遠の天国での生活を許される。
クルアーンにはこうある。

そして信仰して善行に勤しむ者は楽園の住民である。
その中に永遠に住むのだ。(クルアーン2:82)

一方「アッラーの他に真の神はなく、ムハンマドは神の使徒(預言者)である」ことを信じることなく死んだ者は永遠に楽園に入ることは許されず、地獄に送られる。
クルアーンにはこうある。

イスラーム以外の教えを追及する者は、決して受け入れられない。
また来世においては、かれらは失敗者の類である。(クルアーン3:85)

信仰を拒否する不信仰者として死ぬ者は、たとえ大地に満ちるほどの黄金でその罪を償おうとも、決して受け入れられない。
これらの者には痛ましい懲罰があり、いかなる援助者もいない。(クルアーン3:91)

ある人はこう思うかもしれない。
「イスラームはよい宗教だと思うが、もしイスラームに改宗すれば、家族や友人や他の人々が私を迫害し、笑いものにするであろう。もしイスラームに改宗しなくても、天国に入ることができるのだろうか?地獄の業火から救われるのだろうか?」

その答えは神が上述の節で仰せられている。
「イスラーム以外の宗教を追求する者は、決して受け入れられない。
また来世においては、失敗者の類である。」

預言者ムハンマドが人々にイスラームに導くために遣わされた後は、神はイスラーム以外の宗教への信奉を認めない。
神は我々の創造者、維持者であり、この地上にあるもの全てを私たちのために創られた。
私たちが手に入れる恩恵とよきものは全て神のおかげなのである。
そのため、神、預言者、イスラームの教えを信じようとしないものは、来世で罰せられる。
実際のところ、私たちが創造された第一の目的は、クルアーン(51:56)にあるように、神だけを崇拝し、かれに服従することである。

この世での人生は非常に短い。
審判の日、不信仰者は現世で送った生活がたった1日か数時間ほどのように感じる。
クルアーンにこうある。

かれ(神)は仰せられよう。
「あなたがたは、地上に何年滞在していたのか。」彼らは言おう。
「一日か、一日の一部分だけです...(クルアーン23:112-113)

またこのような言葉もある。

あなたがたは、われが(目的もなしに)戯れにあなたがたを創ったと思うのか。
またあなたがたは(来世で)われに帰されないと思っているのか。
神は、尊く気高い、真実の王である。
崇められるべきものはかれの他にない...(クルアーン23:115-116)

来世での生活こそが真の生活である。
そこでの生活は精神的なものだけでなく、肉体的でもある。

預言者ムハンマドは現世と来世を比べて次のように言った。
{この世の価値は来世の価値と比べると、ちょうど指を海の中に入れてそれを取り出したときに付着した水滴のような(微々たる)ものである。}すなわち、来世の価値と現世の価値を比べると、まさに大海と数滴の水のような比べようもないほどの大きな差異があるのである。
イサーム ガラール

?ムスリムになるには

一言で言えば、人は「ラー・イラーハ・イッラッラー、ムハンマドッラスールッラー」という言葉を確信を持って証言することによって、イスラームに改宗することができる。
この言葉の意味するところは「神(アッラー)の他に真の神はなく、ムハンマドは神の使徒(預言者)である。」ということである。
最初の部分「アッラーの他に真の神はない」は崇められるべきものはアッラーの他になく、かれには配偶者も子もいないという意味である。
また、ムスリムになるには、次に示すことを受け入れなければならない。

nクルアーンが神によって啓示された神の御言葉そのものであると信じること。

n神がクルアーンの中で約束しているように、審判の日(復活の日)は真実であり、その日の到来を信じること。

nイスラームを自分の宗教として受け入れること。

n神の他にいかなるものも崇めないこと。

預言者ムハンマドの語った言葉に次のようなものがある。
{ある男がラクダに乗って無人の荒野を旅していた。
しかし、ある時そのラクダが、食料と水を背中にくくりつけたまま逃亡してしまう。
男はラクダが戻ってくる希望を失い、木陰に身を横たえて死を待つ。
そのような絶望的な状況にある時、突然ラクダが彼の目の前に現れる。
男は端綱を捕まえ、歓喜の叫びを上げる。
「ああ主よ、あなたこそ私のしもべで、私はあなたの主です!」彼の言い間違いは余りの嬉しさのためであった。
神は、この男がしたような悔悟に対してほどお悦びになられることはない。}

イサーム ガラール