السبت، 16 يناير 2010

イスラームにおける審判の日とは

キリスト教徒と同様、ムスリムは現世というものが来世に対する試験的な準備期間に過ぎないという信仰を持っている。各人にとって、現世での生活は死後の世界のための試練の場である。
全宇宙が破壊するその日がやってくると、死者は神の審判を受けるために復活させられる。
この日全ての者がその信仰と行いに従って神からの報いを受ける。
「アッラーの他に真の神はなく、ムハンマドは神の使徒(預言者)である」と信じて死んだ者はその日報われ、永遠の天国での生活を許される。
クルアーンにはこうある。

そして信仰して善行に勤しむ者は楽園の住民である。
その中に永遠に住むのだ。(クルアーン2:82)

一方「アッラーの他に真の神はなく、ムハンマドは神の使徒(預言者)である」ことを信じることなく死んだ者は永遠に楽園に入ることは許されず、地獄に送られる。
クルアーンにはこうある。

イスラーム以外の教えを追及する者は、決して受け入れられない。
また来世においては、かれらは失敗者の類である。(クルアーン3:85)

信仰を拒否する不信仰者として死ぬ者は、たとえ大地に満ちるほどの黄金でその罪を償おうとも、決して受け入れられない。
これらの者には痛ましい懲罰があり、いかなる援助者もいない。(クルアーン3:91)

ある人はこう思うかもしれない。
「イスラームはよい宗教だと思うが、もしイスラームに改宗すれば、家族や友人や他の人々が私を迫害し、笑いものにするであろう。もしイスラームに改宗しなくても、天国に入ることができるのだろうか?地獄の業火から救われるのだろうか?」

その答えは神が上述の節で仰せられている。
「イスラーム以外の宗教を追求する者は、決して受け入れられない。
また来世においては、失敗者の類である。」

預言者ムハンマドが人々にイスラームに導くために遣わされた後は、神はイスラーム以外の宗教への信奉を認めない。
神は我々の創造者、維持者であり、この地上にあるもの全てを私たちのために創られた。
私たちが手に入れる恩恵とよきものは全て神のおかげなのである。
そのため、神、預言者、イスラームの教えを信じようとしないものは、来世で罰せられる。
実際のところ、私たちが創造された第一の目的は、クルアーン(51:56)にあるように、神だけを崇拝し、かれに服従することである。

この世での人生は非常に短い。
審判の日、不信仰者は現世で送った生活がたった1日か数時間ほどのように感じる。
クルアーンにこうある。

かれ(神)は仰せられよう。
「あなたがたは、地上に何年滞在していたのか。」彼らは言おう。
「一日か、一日の一部分だけです...(クルアーン23:112-113)

またこのような言葉もある。

あなたがたは、われが(目的もなしに)戯れにあなたがたを創ったと思うのか。
またあなたがたは(来世で)われに帰されないと思っているのか。
神は、尊く気高い、真実の王である。
崇められるべきものはかれの他にない...(クルアーン23:115-116)

来世での生活こそが真の生活である。
そこでの生活は精神的なものだけでなく、肉体的でもある。

預言者ムハンマドは現世と来世を比べて次のように言った。
{この世の価値は来世の価値と比べると、ちょうど指を海の中に入れてそれを取り出したときに付着した水滴のような(微々たる)ものである。}すなわち、来世の価値と現世の価値を比べると、まさに大海と数滴の水のような比べようもないほどの大きな差異があるのである。
イサーム ガラール

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