クルアーン
ムハンマド(彼に平安あれ)が40才に達したころ、彼はその正直さと親切心により、出生地マッカの住民に信頼され深く愛されていました。愛する妻子に囲まれ、楽しく恵まれた生活でしたが、そこには心のいらだちが一抹の影を落としていました。
自部族の偶像崇拝とそれにまつわる下劣な慣習などにうんざりし、社会的退廃に悩んでいたのです。そこで彼はマッカに近いヒラーの洞窟にこもるようになりました。
ある夜のこと、いつものように彼が洞窟にこもって一心に唯一の神に祈っていると、突然大天使ジブリール(ガブリエル)が出現し、彼に「読め」と命じました。おそれおののいた彼は「読むことができません」と答えましたが、天使はまだ「読め」と言います。三度目に同じ答えを返すと天使は彼を強く抱きしめ、こう言いました。
読め、「創造されるお方、あなたの主の御名において。
一凝血から、人間を創られた。」
読め、「あなたの主は最高の尊貴であられ、
筆によって(書くことを)教えられた御方。
人間に未知なることを教えられた御方であられる。」
(クルアーン第96章1~5節)
この言葉を最初として、西暦610年に預言者ムハンマド(彼に平安あれ)に対するクルアーンの啓示が始まったのです。至高のアッラーの啓示は、その後ムハンマド(彼に平安あれ)が西暦632年にこの世を去るまでの23年間にわたって続きました。
この啓示は一冊の本となり、世界の歴史に基本的かつ重大な影響を与えてきました。他のどんな本も、これほど多くの人々にこれほど永い年月にわたって人間の基本的な問い、すなわち「人間はなぜ生まれてきたか」「人生の目的とは何か」「人はどのように生きればよいか」などに対して、これほど明確な回答を与えていません。クルアーンは、今なお十億の民を導くイスラームの最も重要な啓典であり、至高なるアッラーの恵みの現れであり、全人類への導きと知恵を美しく表わす至高のアッラーのお言葉なのです。
人類を含めた世界中のあらゆるものを創造されたのは唯一の神で、それをアラビア語でアッラーといいます。至高なるアッラーは、人間を創造した後で放っておかれはしませんでした。人間を導かれるために、それぞれの時代に、それぞれの民族に使者を送られました。彼らを預言者(アラビア語でナビー)と言います。預言者の中には何人か至高なるアッラーの啓典をもらった人もいます。預言者の中で啓典をもらった人々を特に使徒(アラビア語でラスール)といいます。啓典の中で、有名なものにムーサー(モーゼ・彼に平安あれ)のタウラート(トーラー)、ダーウード(ダビデ・彼に平安あれ)のザブール(詩編)、イーサー(イエス・彼に平安あれ)のインジール(福音書)などがあります。預言者ムハンマド(彼に平安あれ)は最後の預言者であり、クルアーンは最後の啓典であり、全人類に対する導きなのです。
クルアーンとはアラビア語で「読誦するもの」という意味です。クルアーンは至高なるアッラーから大天使ジブリールを通じて預言者ムハンマド(彼に平安あれ)へと啓示されました。ですから初期のムスリムたちにとって、クルアーンとは声に出して読むものであり、暗記することがあたりまえでした。現在でも世界中のムスリムたちは、クルアーンを読誦することに喜びを感じています。それは詩でも歌でもなく、しかしその旋律は聴く者の心を惹き付けるのです。預言者ムハンマド(彼に平安あれ)がマッカで反対者に迫害されていたとき、イスラームの敵でさえも、クルアーンの美しさを認めていました。
ムハンマド(彼に平安あれ)がいた当時のアラブ社会は、当時の文明国だった東ローマ帝国やペルシャ帝国に比べて非常に遅れていました。けれどもそんな中でも唯一、文学だけは発達しており、多くの者が文盲であったにもかかわらず、詩や物語を愛好し、家族や親戚や仲間たちと集まった時はお互いに朗唱し、また競ったりしていました。最優秀作品は、カアバ神殿の壁に貼りだされました。
アッラーはクルアーンでこう語っておられます。
もしあなた方が、わがしもべ(ムハンマド)に下した啓示を疑うならば、それに類する一章でも作ってみなさい。もしあなた方が正しければ、アッラー以外のあなた方の証人を呼んでみなさい。もしあなた方が出来ないならば、いや、出来るはずもないのだが、それならば、人間と石を燃料とする地獄の業火を恐れなさい。
(クルアーン第2章23~24節)
クルアーンの章の中には、わずか三節しかないものもあります。預言者ムハンマド(彼に平安あれ)と同時代の人々の中には、アラビア語と文学の大家として知られた人たちがいて、この挑戦に応えようとしたのですが、その内容と表現力においてクルアーンと同様のものをわずか数節さえも作ることができなかったのです。
クルアーンは預言者ムハンマド(彼に平安あれ)の人生とともに啓示されました。なにか出来事が起こると、それに対してアッラーの回答としてクルアーンの一節が下る、というのが常でした。にもかかわらず、クルアーンは、その内容が首尾一貫していて、どの部分も互いに矛盾することが決してありません。 少しも曲ったところのない、アラビア語のクルアーンで、必ずかれらはわれを畏れること(を知る)であろう。
(クルアーン第39章28節)
クルアーンは預言者ムハンマド(彼に平安あれ)に啓示されて以来、一言一句たりとも変わっていません。以前の諸啓典は、宗教の戒律を嫌う人々によって書き換えられたり、失われたりして、きちんと伝わりませんでした。しかし、クルアーンは現在にいたるまで、預言者ムハンマド(彼に平安あれ)が啓示を受けたときのままです。それは次の様な過程をへて伝えられたからです。
(1) 預言者ムハンマド(彼に平安あれ)は、天使ジブリールのもたらした啓示を完全に記憶するまで復唱させられ、その啓示の挿入する場所をはっきりと示されました。クルアーンの章節の順序は、啓示された時期とは関係なく、アッラーの定めた順序に従っています。
(2) 預言者ムハンマド(彼の平安あれ)は読み書きができなかったので、アッラーの啓示を受けるとすぐ、読み書きのできる教友にそれを書き留めさせました。筆記者がそれを読み返し、預言者(彼に平安あれ)の校正を受けてから、預言者(彼に平安あれ)の指示によって啓示は所定の場所におさまりました。
(3) 預言者ムハンマド(彼に平安あれ)の存命中にすでにクルアーン全巻を暗記していた5人の教友がいます。彼らはムアーズ・ビン・ジャパル、ウバーダ・ビン・サーミト、ウバイ・ビン・カアブ、アブー・アイユーブ、アブー・ダルダー(彼ら全てにアッラーのお喜びがありますように)です。
(4) ヤマーマの戦いにおいて、多くのクルアーン暗記者が戦死し、純粋なクルアーンが失われてしまうことを危惧した二代カリフ(預言者の後継者)ウマル・ビン・ハッターブ(彼にアッラーのお喜びがありますように)は、初代カリフのアブー・バクル(彼にアッラーのお喜びがありますように)にクルアーンを一冊にまとめることが急務であることを提案しました。そこでアブー・バクルは主だった教友たちと相談してから、啓示の主任筆記者であったザイド・ビン・サービト(彼にアッラーのお喜びがありますように)にクルアーンの全巻を集めるように命じました。準備が整ったとき、預言者ムハンマド(彼に平安あれ)のおられた時とまったく同じようにクルアーンを一冊にまとめるための監修委員会が設けられ、クルアーンの全巻が集められました。この基本テキストは、クルアーンを書き留める作業をしていた五人を含めた多くの教友たちの校正を受け、完全だと確認されました。この原本は預言者(彼に平安あれ)の未亡人で二代カリフ・ウマルの娘ハフサ(彼女にアッラーのお喜びがありますように。彼女自身がクルアーン暗記者でした)のもとで保管されました。
(5) 第二代カリフ・ウマル(彼にアッラーのお喜びがありますように)は、イスラーム圏全土にわたってクルアーンを教える学校を設立しました。そのうちの一つダマスカスのモスクで、アブー・ダルダー(彼にアッラーのお喜びがありますように)は1600人の生徒に教えていました。また、カリフは地域の総督に、クルアーンの全章句を暗唱できる者を教師としてマディーナへ派遣することを要請しましたが、これに対して、たとえばイラク総督のサアド・ビン・アビー・ワッカース(彼にアッラーのお喜びがありますように)は「そういった者は300人もいる」と返事をしています。
(6) 第三代カリフ・ウスマーン・ビン・アッファーン(彼にアッラーのお喜びがありますように)の時代には、イスラーム地域の拡大にともない、アラブ人以外の入信者が増え、かれらのクルアーンの発音はゆがめられていました。これを正すため、ウスマーン(彼にアッラーのお喜びがありますように)は博学の教友たちの意見を聞き、ザイド・ビン・サービト(彼にアッラーのお喜びがありますように)を中心とする四人の委員会を設けました。ハフサ(彼女にアッラーのお喜びがありますように)の保管する原本の正確な写本を帝国全土に配り、預言者の読唱と同一のクライシュ語が使われるよう、定めました。クルアーンを正しく読むために後世になって挿入された正字法(発音記号)は別として、現在出版されているクルアーンの内容は、預言者ムハンマド(彼に平安あれ)が伝え、ウスマーンと預言者の教友たち(彼らにアッラーのお喜びがありますように)が配布したクルアーン全巻の正本とまったく同じです。
そして、現在まで多数のムスリムがこれを暗記しています。世界中には数えきれないほど多くのクルアーン暗記者がいます。
これらの事実から多くの学者はクルアーンが、預言者ムハンマド(彼に平安あれ)が書き留めさせ、配列を指定した通りのものであると認めています。全ムスリムや学者、違う派の人間までもが、クルアーンのオリジナリティーを確証しています。すなわちクルアーンには何も書き加えられず、何も削除されず、どんな改ざんもされていないのです。それは歴史的な事実なのです。まさにクルアーンの純正さの守護は、至高なるアッラーご自身によって約束されているとおりです。
本当にわれこそは、その訓戒を下し、必ずそれを守護するのである。
(クルアーン第15章9節)
クルアーンは114の章に分かれ、それぞれに名前がついています。例えば「純正章」はアッラーの唯一性を扱っているからです。114章のうちの93章はマッカで、21章はマディーナで預言者(彼に平安あれ)に啓示されたものです。最も短い章(第103、108および110章)はそれぞれ三節ずつ、一番長い章である第2章雌牛章は286節に分かれ、全巻を通しての節数は6236節です。全ての章がマッカ啓示・マディーナ啓示に分類されています。ただし全てが一時に啓示されたわけではなく、長い章など順序も相前後して数節ずつ啓示されたので、一つの章の中でマッカ啓示とマディーナ啓示とが混ざっているものもありますが、その場合、分量の多い方に分類されます。これらの分類や順序はすべてアッラーの啓示に基づいており、預言者(彼に平安あれ)やその他の人の考えで並べたわけではありません。また、その他にも、読誦しやすくするためにクルアーンをおおよそ同じ長さに30等分する分け方もあり、その30分の1をジュズと呼びます。それで1日に一ジュズ読めば、1ヶ月で全クルアーンを読了することになります。
クルアーンを読むときは、身を清め、「アウーズビッラーヒ、ミナッシャイターニ、ラジーム(呪うべき悪魔からのアッラーの守護を願う)」「ビスミッラーヒ、ラフマーニ、ラヒーム(慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名において)」を唱えて始めます。読誦には集中し、延ばすべき個所では延ばし、止まるべき個所では止まって、ゆっくりと美しい声で読むべきです。一時にたくさん読むよりも、毎日決めた分量を読む方が良いです。
クルアーンからの抜粋
言え、「かれはアッラー、唯一なるお方であられる。
アッラーは、自存され、
お産みなさらないし、お産れになられたのではない、
かれに比べ得る、何ものもない。」
(クルアーン第112章1~4節)
それこそは、疑いの余地のない啓典である。その中には、主を畏れる者たちへの導きがある。(クルアーン第2章2節)
アッラー、かれの外に神はなく、永生に自存されるお方。
仮眠も熟睡も、かれをとらえることは出来ない。
天にあり地にある凡てのものは、かれの有である。
かれの許しなくして、誰がかれの御許で執り成すことが出来ようか。
かれは、(人びとの)以前のことも以後のことをも知っておられる。
かれの御意にかなったことの外、かれらはかれの御知識について、何も会得するところはないのである。
かれの玉座は、凡ての天と地を覆って広がり、この二つを守って、疲れも覚えられない。
かれは至高にして至大であられる。
(クルアーン第2章255節)
かれが泥からあなたを創られたのは、かれの印の一つである。
見るがいい。やがてあなた方人間は(繁殖して地上に)散らばった。
またかれが、あなた方自身から、あなた方のために配偶を創られたのは、かれの印の一つである。
あなた方は彼女らによって安らぎを得るよう(取り計らわれ)、あなた方の間に愛と情けの念を植え付けられる。
本当にその中には、考え深い者に対する印がある。
またかれが諸天と大地を創造され、あなた方の言語と肌色をさまざま異なったものとされているのは、かれの印の一つである。
本当にその中には、知識ある者への印がある。
(クルアーン第30章20~22節)
天にあり地にある凡てのものは、アッラーを讃える。(かれは)至高の王者、神聖にして偉力ならびなく英明であられる。
かれこそは文盲の者の間に、彼らの中から使徒を遣わし、印を読み聞かせて彼らを清め、啓典と英知を教えられたお方である。本当にかれらは、以前は明らかに邪道にあった。
まだ来ていない(預盲者以降の)人びとにも教えを授けられる。かれは偉力ならびなく英明であられる。
これがアッラーの恩恵である。かれの御心にかなう者にこれを与える。
アッラーは、偉大な恩恵の主であられる。
(クルアーン第62章1~4節)
人間には、なにものとも呼べない長い時期があったではないか。
本当にわれは、彼を試みるために混合した一滴の精液から人間を創った。
それでわれは聴覚と視覚を彼に授けた。
われは人間に(正しい)道を示した。感謝する者(信じる者)になるか、信じない者になるか、と。
(クルアーン第76章1~3節)
様々な欲望の追及は、人間の目には美しく見える。婦女、息子、莫大な金銀財宝、(血統の正しい)焼き印を押した馬、家畜や田畑。これらは現世の生活の楽しみである。
だがアッラーの御側こそは、最高の安息所である。
(クルアーン第3章14節)
人間は、その努力したもの以外、何も得ることはできない。
(クルアーン53章39節)
かれこそはあなた方を地上の代理者となされ、
またある者を他よりも高められる御方である。
それは与えたものによって、あなた方を試みられるためである。あなたの主は懲罰する際は極めて速い。
しかし、本当にかれは寛容にして慈悲深くあられる。
(クルアーン第6章165節)
順境においてもまた逆境にあっても(主の贈物を施しに)使う者、
怒りをおさえて人々を寛容する者、
本当にアッラーは善い行いをなす者を愛でられる。
(クルアーン第3章134節)
あなた方信仰する者たちよ。証言するにあたってはアッラーのために公正を堅持しなさい。
たとえあなた方自身のため、または両親や近親のため(に不利な場合)でも、
また富者でも貧者であっても(公正であれ)。
アッラーは(あなた方よりも)、双方にもっと近いのである。
(クルアーン第4章135節)
正しく仕えるということは、あなた方の顔を東または西に向けることではない。
つまり正しく仕えるとは、アッラーと最後の(審判の)日、天使たち、諸啓典と預言者たちを信じ、かれを愛するためにその財産を、近親、孤児、貧者、旅路にある者や物乞いや奴隷の解放のために費やし、礼拝の務めを守り、定めの喜捨を行い、約束したときはその約束を果たし、また困苦と逆境と非常時に際しては、よく耐え忍ぶ者。
これらこそは真実な者であり、またこれらこそ主を畏れる者である。
(クルアーン第2章177節)
慈悲あまねく慈悲深きアッラーのみ名において。
万有の主、アッラーにこそ凡ての称讃あれ、
慈悲あまねく慈悲深きお方、
審判の日の主宰者に。
わたしたちはあなたにのみ崇め仕え、あなたにのみ御助けを請い願う。
わたしたちを正しい道に導きたまえ、
あなたが御恵みを下された人々の道に、
あなたの怒りを受けし者、また踏み迷える人々の道ではなく。
(クルアーン第1章1~7節)
アッラーは誰にも,その能力以上のものを負わせられない。(人びとは)自分の稼いだもので(自分を)益し,その稼いだもので(自分を)損う。「主よ,わたしたちがもし忘れたり,過ちを犯すことがあっても,咎めないで下さい。主よ,わたしたち以前の者に負わされたような重荷を,わたしたちに負わせないで下さい。主よ,わたしたちの力でかなわないものを,担わせないで下さい。わたしたちの罪障を消滅なされ,わたしたちを赦し,わたしたちに慈悲を御くだし下さい。あなたこそわたしたちの愛護者であられます。不信心の徒に対し,わたしたちを御助け下さい。」 (クルアーン第2章286節)
布教を始めてから23年目に預言者ムハンマド(彼に平安あれ)はマッカへの巡礼を行いました。その期間に以下の啓示が下りました。それは、イスラームが完成すると同時に、ムハンマド(彼に平安あれ)の預言者としての役目が終わり、彼がこの世界を去る日が近づいていることを暗に告げるものでした。この啓示の後、アッラーの命令や宗教の規則に関する啓示は来なくなり、数ヶ月後にムハンマド(彼に平安あれ)はその生涯を終えたのです。
今日われはあなた方のために、あなた方の宗教を完成し、またあなた方に対するわれの恩恵を全うし、あなた方の教えとしてイスラームを選んだのである。
(クルアーン第5章3節)
イサーム ガラール
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