السبت، 16 يناير 2010

ハディース 

ハディースとは「言われたこと」または「報告」という意味で、一般的な使い方としては、この言葉は預言者ムハンマド(彼に平安あれ)の実践(スンナ)と、彼が実行したことか発言したこと、あるいは他の人物が行うのを容認したことの記録(ハディース)を指します。

「スンナ」というアラビア語は「慣習」の意味です。イスラームで「スンナ」といった場合、一般には預言者ムハンマド(彼に平安あれ)の実践を指します。これについてクルアーンでは次のように述べています。

本当にアッラーの使徒は、アッラーと終末の日を熱望する者、アッラーを多く唱念する者にとって、立派な模範であった。(クルアーン第33章21節)

イスラームにはイバーダ(崇神行為)という言葉があります。それは、あらゆる宗教的な行いを指し、礼拝はもちろん、クルアーンを読むこと、巡礼に行くことのみならず、食べ方、飲み方、生活の仕方といった、私たちの日常の些細なことに至るまで、もし私たちが預言者ムハンマド(彼に平安あれ)のやり方で行えば、その行為そのものが至高のアッラーに対する祈りであるという考え方です。なぜなら至高のアッラーは、ムハンマド(彼に平安あれ)を人類の手本として送られたからです。

使徒に従う者は、まさにアッラーに従う者である。(クルアーン第4章80節)

ですから、ムスリムにとってスンナを守るという行為は、ただ単に1400年前のアラブ人の習慣を真似すると言うことではなく、至高のアッラーを崇拝する行為なのです。

そこで一体何がスンナで、何がそうでないかは重要なことです。スンナは、実際には預言者ムハンマド(彼に平安あれ)が預言者として言ったこと、行ったこと、預言者に接した人々が行うことに対し、預言者(彼に平安あれ)が一部始終をご覧になっていたのにもかかわらず、それを黙認した行いなどです。

預言者ムハンマド(彼に平安あれ)は人が行うべき行為(スンナ)と、そうでないものを区別していました。そしてスンナは預言者の教友が見たものを真似する、または預言者(彼に平安あれ)の指示などによって人から人へ伝えられました。

預言者(彼に平安あれ)が何か言ったり行動したりしたことを見聞した教友は、それを他の人に伝え、さらにそれを聞いた人は次々と他の人々に伝えました。後世になって、多くのハディースが編纂されたとき、その一つ一つは伝承者によって、例えば「アッラーの使徒はこのように言われたとアブー・フライラが言ったのをAが聞き、それをまたAからBが聞いたとCが言っている・・・」という具合で、本文がその後にきます。このようなやり方で、ハディースは伝えられています。

イスラームの初めから、教友たちは預言者(彼に平安あれ)を模範とし、その道を歩むために彼の言行を一生懸命に学びました。

預言者(彼に平安あれ)の死後、イスラームの勢力が遠く離れた地まで広がったとき、新しく入信した者たちは同じように預言者(彼に平安あれ)について全てのことを知り、彼を模範にしようと強く願っていました。教友たちは新しい信者たちから預言者(彼に平安あれ)について熱心に質問され、時が経つにつれて預言者(彼に平安あれ)に関する多くの資料が広く一般に知れ渡りました。それが人々の口から口へと広く伝えられるようになり、ある人たちは自分たちが使う目的で小さなハディース集を作りました。これらはまだ本とは呼べないほどのものでしたが、その内容は後に作られた本に加えられました。

ハディースは全てその伝承者と同時に、それを裏付ける内容が伴わなくてはなりません。現代では権威あるハディース集が多く印刷されていて、広くこれを求めることができるので、伝承の信頼性については何も気を使わずにハディースを引用することができます。ハディースの例を一つ見てみましょう。

信者たちの長(カリフのこと)、ウマル・ビン・ハッターブ(アッラーが彼にお喜びであられますように)の権威によると、アッラーの御使い(彼に平安あれ)はこう言われた。

行為とは、意志に基づくものであり、人は皆、自らの意思した事柄の所有者である。したがってアッラーとその預言者のために聖遷に参加した者は、アッラーとその預言者のために聖遷を行ったのであり、現世の利益、結婚相手の女のために聖遷に加わった者は、それらのために聖遷を行ったのに過ぎない。

このハディースは、ハディース学の大家である二人のイマーム、アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・ビン・イスマーイール・ビン・イブラーヒーム・ビニル・ムギーラ・ビン・バルディズバ・アル・ブハーリーと、アブル・フサイン・ムスリム・アル・クシャイリー・アンナイサーブリーの各「サヒーフ」中に記載されています。ちなみにこの両「サヒーフ」は、伝承集の中で最も信頼性の高いものだという評価を受けています。

このように、ハディースは本文とその伝承者の系列、信頼度などが一まとめになっています。これらの伴わない伝承はハディースとは言いません。

イスラームにおいては、まず第一にクルアーンがイスラーム法の基本精神で、次にスンナがその具体化です。例えて言えばクルアーンは憲法で、ハディースは民法や刑法などの一般の法律です。例えばクルアーンの中に「礼拝を確立せよ」というくだりが何回も出てきますが、実際の礼拝の詳しいやり方はありません。それらは全てハディースの中にあるのです。預言者ムハンマド(彼に平安あれ)は人類の手本なのです。クルアーンがどういう意味かを解説したのがハディースです。このことは預言者の教友たち、全てのイスラーム法学者、そしてそれらの後継者である全てのムスリム世代が認めています。

ハディース集はたくさんありますが、最も権威あるハディース集は次の二つです。

1、『サヒーフ・ブハーリー』ブハーリー(イスラーム暦194年~256年)編

2、『サヒーフ・ムスリム』ムスリム(イスラーム暦202~261年)編

さらに次の四冊も権威あるものとして認められていて、前記の二冊を加えて「六冊の正統ハディース集」と呼ばれています。

3、『アブー・ダーウード』アブー・ダーウード(イスラーム暦202~275年)編

4、『ティルミズィー』ティルミズィー(イスラーム暦~279年)編

5、『ニサーイー』ニサーイー(イスラーム暦215~303年)編

6、『イブン・マージャ』イブン・マージャ(イスラーム暦209~273年)編

この「六冊の正統ハディース集」を含めて、全てのハディース集は編集者の独自の判断により作成されたもので、学会や教会などの組織の力で作られたものではありません。これは、イスラームではそのようなものに対して権威を与える組織など存在しないからです。

全てのハディースは厳しく調べられ、イスラーム社会で認められて初めて権威あるものとして認められたのです。他のハディース同様、『サヒーフ・ブハーリー』や『サヒーフ・ムスリム』にも、この方法が使われました。

預言者ムハンマド(彼に平安あれ)についての膨大な言い伝えや記録の信頼性を判定するため、特定の基準が定められています。例えばブハーリーは『サヒーフ・ブハーリー』の編纂にあたって60万ものハディースを集めましたが、厳しく審査し、わずか7275だけを取り入れました。このように、膨大な数のハディースが信頼性が低いとしてハディース学者の手によって捨てられました。そのようにして、ハディース学という研究が徐々に発展していき、それぞれの伝承の信頼性を判定するための基準が定まっていきました。

例えば、第一に、ハディースは多くの伝承者のつながりが最終的にはそのことを預言者から直接見聞きしたという人までさかのぼっていること、第二に、その伝承者のつながりの中で、それぞれの人物の確かさ、人格、行動、記憶力の正確さ、見聞きしたことに対する理解力、信頼性、教養などについて十分に調査してあることなどです。

何千人という多くのハディース学者たちが、預言者(彼に平安あれ)の原稿を伝えた人たちの生涯についてのあらゆる情報を一生をかけて集めました。預言者(彼に平安あれ)のハディースに関する報告をこれほどまで厳しく審査したのは、イスラームの真の教えを知るために当然のことです。

審査の基準について、クルアーンでは次のように述べられています。                   
信仰する者よ、もし邪悪な者が情報をあなた方にもたらしたならば、慎重に検討しなさい。(クルアーン第49章6節)

ハディースはその信頼度によって、普通次の三つのグループに分けられています。
(1) サヒーフ(信頼度:優)
(2) ハサン(信頼度:良)
(3) ダイーフ(疑わしい)
ブハーリーとムスリムが認証したハディースは全てサヒーフだと言われています。また、ブハーリーとムスリムが集めたものでなくても、この二人のハディース学者の一方か両者が定めた条件を満たしたものも、サヒーフとされます。

ハサンとされるハディースは、その出典の根拠がよく知られており、伝承者が信頼できる人として人々に知られており、また伝達された話をほとんどの学者が認め、法学者、裁判官、法律家などが使ったものです。

ハサンのハディースは、法律学のイスラーム方式での法的決定の有効な根拠として認められています。一方ダイーフのハディースはそうではありません。しかし、ダイーフのハディースの全てが否定されるわけでもありません。ダイーフの中でも、人々に善行を勧めたものや、信頼度の高いハディースに述べられているある事件に付随したことについて語っているものは、採用される場合もあります。アブー・ダーウードという学者は、自分が扱った何かのことを証明するのに、ほかに何も資料がないときには、しばしばダイーフのハディースを引用しています。
ハディースからの抜粋

イブン・ウマルは語っている。アッラーの御使い(彼に平安あれ)はおっしゃった。

イスラームは五つの柱からなっている。

(1) 「ラー・イラーハ・イッラッラー、ムハンマド・ラスールッラー(アッラーのほかに崇拝に値する
ものはなく、ムハンマドはアッラーの使徒である)」と証言すること

(2) 礼拝を確立すること
(3) ザカートを支払うこと
(4) ハッジを行うこと
(5) 断食を行うこと
アブー・フライラが語っている。預言者(彼に平安あれ)は言われた。
信仰には60以上の部門がある。そしてアル・ハヤー(慎み・謙虚さ)は信仰の一部である。

アブー・フライラが語っている。預言者(彼に平安あれ)は言われた。

宗教は非常に易しい。誰でも自分の能力以上の重荷を課す者はその道を続けることができなくなる。だから極端であってはならない。完全にできるように努力し、報奨への吉報を受けなさい。そして朝、午後、夜の最後に礼拝し続けることによって、強さを得なさい。

アブー・サイード・アルクドリによって語られている。アッラーの御使いはおっしゃった。

もし人が真剣にイスラームを受け入れたなら、アッラーは彼の以前の罪を全て許して下さる。そしてその後は清算をやり直し、おのおのの善行に対しては七百倍の報奨を与えられ、悪行に対してはそのままである。しかしアッラーがお許しになれば別である。

ムアーズ・ビン・ジャバルによって伝えられている。アッラーの御使いはおっしゃった。

「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーのほかに崇拝に値するものはない)」と信仰告白することは天国の鍵をもたらす。
イサーム ガラール

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